4FRD

映画・ゲーム考察

メモ[TELL ME WHY]

https://x.com/4fraid_video/status/1742827957742358788?s=46&t=f08eI0ZKof8UZTVXOuUzyw

 

TELL ME WHYというゲームがつねに二重性を孕んでいるということ。
▪︎物語〈ゴブリンの本〉の持つ虚構性|真実
▪︎複数の登場人物たちが持つ表面的な顔・仮面(ペルソナ)|真実(秘密)。

主人公たちも例外ではなく、秘密を抱えている。

 

ゲームがつねに孕む二重性=2通りの可能性/分岐。「そこからどちらを選ぶか?」という問い。
探索を重ねていくうちに、双子は次々と、主に資料(記録)に基づく「事実」を発掘していくけれども、選択のさいに重要となる「記憶」には、正しさを判断する比較材料たる事実が提示されない。

 

「2つの記憶のうちどちらを選ぶか」という問いは、「どちらが正しいのか」(記録・事実に基づき)を選ぶ作業ではなく、可能性に賭ける(take a leap of faith)おこないになる。

 

けれども、たとえ「厳密な事実/根拠に基づいている」わけではなくとも、ゲーム内の選択には、どこか「正しい答え」があるように感じられる。それは「双子の絆」というプレイヤーの望みでもあり、「過去に囚われてただただ不変でいるよりも、新しい事実を受け入れて変わる」という、ゲームの意図をプレイヤーがうっすらと感じながらプレイを続けているからだと思う。

 

どこかオープンなようでいて、実はゲームの奥底に眠る、クリエイターの意図のようなものが、プレイヤーを駆動/誘導している。全くオープンで自由なゲームプレイ(選択)などあり得ないからだ。

 

どこかでプレイヤーは、クリエイター側の仕掛けた誘導に乗っている。その誘導に乗っかりながら、しかし自分で選び取ったものとして、変化する。主人公に変化をもたらす。

 

「正確な事実に基づくこと」の重要性を抑えながらも、判断材料となる事実関係をあえて不足させつつ、行動選択へと至るまでに広がる空白を埋める「望み」をプレイヤーから引き出してやることに、クリエイターは腐心したのではないだろうか。

 

・・・

 

選択分岐型の今作で、どんなエンディングを見ても「これが正解(グッドエンド/トゥルーエンド)」というものがないのだけれど、プレイヤーは「正しい結末」「グッドエンド」を目指してプレイするし、成功欲がある。正しい結末がなくとも、その成功欲を上手く、より良い方向へ導くことはできる。