4FRD

映画・ゲーム考察

『シーズン/未来への手紙』をプレイし終えて

『シーズン/未来への手紙』をクリアして(感想メモ)

 

初めは、美しい風景と音楽を楽しむだけの「エモい」ゲームだと思って始めた。主人公が旅立つ動機も不明で、ペンダントもいきなり登場するので、何がなんだか分からないまま自転車に乗る。

けれども、中盤までプレイすると、それまで断片的に得てきた情報が一気に繋がり、全体像が見え始めることで、物語が驚くほど深みを増す。

 

『シーズン』は、半現実・半仮想のファンタジーだけれども、非現実的な独自設定を、記憶と語り、すなわち歴史を発掘させることによって、まさにそこにあるものとしてプレイヤーに実感させる。

 

このゲームにおけるファンタジーは、カジュアルに消費されるような陳腐なものではなく、探索によって得られる奥深い知識の蓄積である。そのうえで(半)オープンワールドというシステムが重要な役割を果たしている。

 

・・・・・

 

開放的な世界で自由に探索が可能ななか、クリエイターがちりばめた手がかりを集め、情報をつなげながら、自分で目的を設定して探索し、1つの描像をつくる。こうして心の中(あるいは脳内)に模式図をつくる遊びがとても愉しい。

 

クリエイター側がすべてムービーを製作し情報を開示する(答え合わせをする)のではなく、インディーズゲームゆえにミニマルで省略された簡素なつくりをしていて、それゆえにプレイヤー側が自分の想像力をはたらかせて行間を埋め物語を補完し、仮説を立てる。そんな楽しみのあるゲーム。

 

物語がゲーム内で閉じていない(完結していない)ので、プレイヤーが2次創作したくなるような、それこそまさに純粋な(そして王道の?)ファンタジー

 

歴史の蓄積がある荒廃した世界から記憶・記録・語りといった情報に触れ、答え(仮説)を自分で立てる/仮説が頭に浮かんでくる(そしてその仮説の答えが必ずしも視覚化されるとは限らない)というところがエッセンスかな

 

意欲的なクリエイターは一歩進んで視覚化やデザイン(=映像化)にすごくこだわるからこそ、プレイヤーが想像力をはたらかせる機会が損失してしまうことがあると思う。あえて映像化しない(製作費の制約もあるだろうけど)ことによる、小説(=文字媒体)のような妄想性。

 

 

 

 

出典 https://x.com/4fraid_video/status/1740020861841887350?s=20