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映画・ゲーム考察

TELL ME WHYの主題について

TELL ME WHY、wikiなどを読むと「記憶の誤謬」がテーマだと書かれているんだけど、本当に『羅生門』(ないし原作『藪の中』)がモデルだとしたら、「記憶の誤謬」ではなく、「真実/真相の不在」と「2つの選択肢(記憶)のうちどちらかを排除することの不可能」だと思うんですよね

もしかしたら確かに双子の記憶は「事実」とは異なっているかも知れないけれど、どちらかが正しいということはなく、平等に「記憶」であり「事実」ではない。けれども2つのうちどちらかの記憶を選ぶことには、正しさではなく、自分を貫くか相手に寄り添うかという葛藤としての意味合いがある

記憶は/自分は間違っているかも知れないんだけど、間違っている可能性を孕みながら前進することに意味がある、という気合いを感じます

 

Tell Me Whyにおいて比較対象となっている「記憶」は、羅生門における「語り」よりは嘘の度合いが低く、信憑性は高いのだけど、「事実」や「物的証拠」に比較して信憑性は低い。けれども信念と密接に関連している

 

事実/物証 > 記憶 > 語り

(本当に?)

 

少なくとも、「記憶」における作為や捏造の度合いは、「語り」よりは低い。けれども「記憶」にはたしかに誤謬や、心理的な印象、そして願望や、幼さゆえの世界認識の解像度の低さの介入もあいまって、本人は正しいと信じていても事実とは異なるという、繊細な性質が伴う

 

などということをおもいます

 

 

Tell Me Whyにおける「記憶」が仮に「事実」とは異なっていても、その原因として「誤謬」はあくまで1要因に過ぎない(記憶とは、その人がまさに世界をどう認識しているかということの残渣であるから)

 

TMWにおける記憶は6-8割くらいの信憑性はあって、重要なのは残りの2-4割の「事実との差」を意識させる真実の不在.

それぞれ6~8割くらいは正確な2つの記憶のうちからどちらかを選ぶのだけどそれらは記憶であって事実ではない、というところだと思います

 

出典 https://x.com/4fraid_video/status/1737061256249692276?s=20

 

 

 

 

やはり、テーマは「記憶の誤謬」ではなく、童話(ゴブリンの日記)に象徴されるような、あやふやな世界理解、自分に都合の良い解釈と、その無自覚さ。 大人になり、世界への解像度…事実そのものへの注意が確立されてから振り返る子供の記憶、ということだと思う

 

出典 https://x.com/4fraid_video/status/1738487561520329057?s=20